Posts

凡人

 ITの仕事をしていて悩んだことはない。出勤しどうやって定時で帰るか、そのためにはどうやって仕事を終わらせるかしか考えていない。そうやって働いていると気がついたら定時で帰ることができている。この仕事は最高だ。  学生時代の理論や結論ファーストで物事を分析していったことは今でも役に立っている。仕事はとにかくこういった理論があるからこうなんじゃね?とか、わかんないけど出来るんじゃね?というところからスタートする。正しいかどうかはあとになってわかる。俺は自分の結論を証明しにいっているだけ、という気持ちで働いている。  結論を証明するための参考文献を求め続けている間にに大量に知見が積まれていく。別に結論が証明できなかったら、証明できませんでしたでいい。反対の結論を持ってきてそれを証明したらいい。結果として答え(証明)に近づいていく。ただその繰り返しで仕事が終わる。  前職の介護で叩き込まれた対応力はどんな状況でも遂行することに役に立っている。常に最悪の事態を想定することによっていついかなる状況でも対応できるようになった。例え良くない状況に陥ったとしてもそれを挽回するプランを考えるように至る。何でうまく行かないかなんていうのは考えない。どうしたら終わるんだろうとしか考えていない。  仏教を学ぶことによって、さらに終わらせる思考は加速されていった。仏教の教えは考える隙を作らないということを意識させる。それは結論ありきで行動することを後押しし、タスクを最大限の効率で行うことを支えた。例えば、結論や次の行動を考え続けることは足かせになる。頭を悩ませるよりすぐ動いたほうが断然早く頭が回転し、課題が終わる。  結論としては考えるのをやめるのが一番ということ。例えば俺が間違っていると思って、その間違っている理由を探すのは時間がもったいない。そんな暇があるなら、与えられた仕事ややるべきことを終わらせるべきだ。 

インターネットに真実はない

 私たちは他人の意見を聞いて、それはありえないと思うことがある。例えば、反自民党の人からしてみれば、自民党支持者は異端な存在になる。逆に、自民党支持者からすれば、自民党を支持することが大事なのである。従って、真実は自己が形成し決定するものであって、他者によって形作られていくものではないということである。 他人の意見を聞いて、自分の意見が変わることがある。それは、自分が意見を変えたこのである。例えば、殴られそうになったから、避けるのか、当たっていくのか、それは相手が決めることではない。危ない、と感じたから避けるかもしれない。なので、何かに対して心が動いた瞬間、人は動くのである。 心が決断した瞬間、それは事実になる。例えば、ドキュメンタリーを見て、それが事実だと確信したとする。それが事実だと確信することによって初めてそれが事実になる。従って、一度自己の中で事実という結論を出すことによって事実が形成されるのである。 自分の中で一度結論を出すのだから、それをインターネット(体外)に求めることはできない。例えば、ある商品を買いたいと思っていたとする。その商品を買うための情報を探ろうとする。しかしながら、その買うか買わないかの答えは自分の中に目的がなければ見つけることができない。具体的な手順としては、これを買いますという結論を一回出す。そこでもう答えは終わっているのである。インターネットにその商品を買う理由を求めても、それは他者の真実を閲覧しているだけであって、自己の真実を見つめてはいないのである。だから、何で何かをするのかという質問は人に聞く質問としては妥当ではない。自分に聞かないと答えは見いだせないのである。 人に理由を求めるのも無意味である。例えば、何でこれをする必要があるんですかと人に聞いたり、文句を言ったりしても、それには意味がない。なぜならば、何かをする意味は最初からないからである。言い換えれば、自分の中にはその意味がないのである。他人にとっての真実を自分に当てはめることは不可能なのである。つまり、ある人の命令やお願いは自分にとって全く持って理解できるものではないのである。 自分にとって意味のないことであっても、それを無視することはできない。じゃあどうするのかといえば、それを受け入れることしかできない。なぜならば、それぞれの人間にとっての真実は紛れもなくその...

怒りのある物語は面白い。

 俺は比較的怒りのある人生を送ってきた。今している仕事だって親からの反発によってこの仕事についたようなものだ。とにかく人や物や思想に反対しまくっていた人生だった。だから、面白い人生でもあった。今は仏教とか学んで客観的になってきたから、今後の人生は面白く無くなっていく。でも、やっぱり、怒りのある物語を見たり、聞いたりすると、今でも面白い。  藤本タツキの新作の短編集『藤本タツキ短編集 22-26』は怒りの塊だ。作品毎のコメントを読むと、誰かに対する反発によって描いてあることが読み解ける。この人にこう言われたから、こういった作品を作ってやろうという気持ちで書いているということを表明している。だからこの短編集は怒りをまとめ上げた、怒りの本なのだ。  なぜ怒りが面白いかというと、人は怒っている時馬鹿になるからだ。怒りというのは、怒ったり、後悔することも含めて怒りだと捉えている。人が怒った時はとにかく向こう見ずな発言が多い。たとえば、あなたのせいで恥をかいたんだよと親に言われる。恥の原因は子にあるというのは子供としては意味がわからない。なぜならば、恥は親の感情にしか登場しないからだ。そんなことを他人の親が子供に言ってる場面に遭遇したら、なんて馬鹿な親なんだと思うかもしれない。だから、人の怒りは他人から見ると面白いものだ。自分で振り返っても馬鹿馬鹿しくて可笑しい。  ここで、怒りの物語を二つ紹介したい。F・スコット・フィッツジェラルドによる『グレイト・ギャッツビー』は後悔という形の怒りの物語だ。ギャッツビーは過去を取り戻そうとする。後悔という怒りに任せて、デイジーを手に入れようとするのだ。そこでニックというキャラがギャッツビーの怒りを何度か抑えようとして物語の進行を妨げようとするのだが、ギャッツビーは怒りに満ちているからニックの話を聞かずに怒りに身を任せる。結果的に悲惨な死をギャッツビーは遂げているのにも関わらず、面白い物語ができあがった。  『マトリックス』という映画も怒りの物語だ。(マトリックスは面白いから、今度12月の上映される映画をIMAXで見に行きたい。)マトリックスはネオとスミスの戦いの物語だ。お互いがどんどん強くなっていって、その両者の間で繰り広げられる真っ向勝負が面白いのだ。もし、どちらか一方がpacifist(平和主義者)で、闘おうとしなかったら、物語は壊れる...

Pirate Outlawsレビュー

Pirate Outlawsっていうスマホゲー面白い。カードゲームのようにカードを選んで敵と戦うゲーム。 毎回ランダム性があって、そのランダム性がいい。例えば、HP回復しなくてもいいだろ、と思っていたら敵がたまたま強い攻撃をしてきて死ぬ。死ぬと集めたカードがリセットされる。次のゲームは最初からでカード集めを始める。毎回手に入るカードは前回とは異なる。なので、毎度新鮮なストーリー(進め方)を楽しめることができる。 Slay the Spireの後追いのゲームではある。しかしながら、アンドロイドではPirate Outlaws が売っていて、Slay the Spireはまだ販売していないのだ。App StoreではSlay the Spireが購入できるので、Iphone持っている人はSlay the SpireとPirate Outlawsどちらも楽しめる

Nike のサンダルを購入したお話

Image
 夏といえば蝉や蚊だ。どちらも暑さを象徴する生物だ。けれども、暑すぎると蚊はあまり外を飛ばないらしい。暑いときには外に出ないというのを蚊も徹底しているようだ。蝉だって木の影に隠れてミンミン鳴いているせこいやつだ。どちらも暑さ対策は万全だ。  Nikeのサンダルを購入したのにはいつくか理由がある。箇条書きでそれを説明したい。 1.夏は暑い 2.暑いから最小限の服装で外を出歩きたい。 3.サンダルのほうがスニーカーより涼しい。 4.クロックスよりも長時間履くことを想定した靴が欲しい。 とどのつまり、クロックスからサンダルをアップデートしたかったのだ。クロックスのサンダルは耐久性は高くて履きやすいサンダルだ。しかしながら、長距離歩くのには向いていない。どちらかというと近距離を歩くのに最適だ。従って、沢山歩く予定には向いていない。  ここからはNike ACG デシューツの特徴について話したい。Nike ACGデシューツはクロックスと異なり、普通のサンダルのフォルムとなっている。従って、足の大きさに合うようなサンダルである。そして、この商品の最大の特徴はNike Airが搭載されていることだ。  Nike Air とはNikeのソールの一種である。言い換えると、靴の中に入っているクッションである。このクッションは反発力が高い。そのため、足を前に押し出すことを助け、足が地面に着地するときは緩衝材としての役割を果たす。それがNike Airである。  このNike Airが搭載されていることによって、ナイキのランニングシューズ(外履きの靴)と同じような性能を得ることができるのだ。それゆえ、この商品はランニングシューズの上側を省いて、サンダル化したと言っても過言ではない。  このサンダルは靴擦れが起きにくい。サンダルにありがちなのは靴擦れである。サンダルは接着面が少ないため、足と靴の素材が擦れる機会が非常に多い。そのため、多くのサンダルでは靴擦れが発生する。Nike ACG デシューツは靴が足と擦れるものの、擦れる箇所には結構分厚いクッションがついている。それによって、靴擦れによる傷や痛みは驚くほど発生しない。  ここからは、Nike ACG デシューツの欠点について話したい。一番は値段である。この商品は税込みで9000円近くするのである。クロックスの仕事用サンダルでもその半額で...

最後まで見れなかった『泣きたい私は猫をかぶる』

 常滑はいい街だ。観光地化していて私の地元よりも活気がある。さらに陶器という目に見える形での芸術作品を輩出している。その陶器は何年も使える。かなり実用性があって素晴らしい特産品だ。そんな陶器で溢れかえった常滑が好きだ。  『泣きたい私は猫をかぶる』という物語は子供向けの作品である。本作に登場する登場人物たちのように中学、高校生ぐらいの視聴者を対象にしているのであろう。確かに舞台は常滑だ。しかしながら、硬派な陶器を作るシーンは一切ない。ただ常滑の景色を模倣しただけのようだ。だから、とにかく設定が浅くて子供たちのいる学校が中心の物語なのである。  単純に面白くなかったから最後までは見れなかった。猫に変身して好きな人に近づく。そして主人公はその思いが伝えられないというのが話の筋だ。しかしながら、その設定に魅力を感じない。中学生、高校生ならそんなことに躊躇することができるかもしれない。逆に、大人になってそうやって戸惑う機会は少ない。だから、共感することができなくて楽しめないのだ。  結論として常滑を初っ端から強く活用している映画ではなかった。そして、対象年齢が子供であった。それにもかかわらず、声優は有名な人ばかりなので、声優が好きな人は難なく見られるはずである。

『プロジェクト・パワー』レビュー

 強い力を持つことは誰だって一度は思う。例えば、鳥のように素早く空を飛ぶことができれば、どれだけ気持ちいだろうかと想像することがあるかもしれない。実際に、ジェットコースターに乗って高速で移動するのは楽しい。乗っている瞬間は人間の歩行速度を大きく超える。しかしながら、人間が飛ぶには大きなエネルギーが必要だ。  『プロジェクト・パワー』はいいアイディア(考え)を持っている。パワーの薬を飲むと、5分間だけ超人的な能力を手に入れることができるのだ。使用している人間に支障がきたさないようにうまく調整されている薬品だ。パワーの薬を飲みすぎると、オーバードーズ(過剰摂取)して死に至る。これまでの超人系の物語と異なり、時間制限があるというのが魅力的だ。  その超人的な能力は台無しになる。序盤は発火する人や透明人間が登場する。人間を超越した存在というイメージを強く視聴者に植え付ける。しかし、登場人物の警察官がパワーを服薬すると、ただひたすら硬くなるのだ。最初のイメージとは裏腹に、地味な能力だ。その傾向は映画の終わりまで続く。  映画の大部分では能力が役に立たない。結局銃で戦うことが多い。さらに、銃に勝る能力がなかなか出てこない。ゴム人間のように体が柔らかくなったり、硬い骨が人間から出てきたりする能力を見ると、ちょっとがっかりする。能力者同士が能力で戦う場面が圧倒的に少ないのだ。  『プロジェクト・パワー』は大衆受けに注力しすぎている。物語は家族愛がテーマなのである。だから、能力よりも家族が優れるのである。その結果、家族思いのシーンが多い。主人公は娘を探している、登場人物である少女は母親を助けようとしている、そして警察官は地元の民を救おうとしている。従って、この超人薬品は意外にも物語の副産物となるのである。  結局ただ娘を救うために旅に出る男の物語になっている。申し訳程度のパワーを駆使して物語は進んでいく。別に能力がなくても物語は進んだんじゃないかと思えるぐらい途上人物らの能力は地味だ。