Posts

Showing posts from March, 2020

超ポップな『ノッティングヒルの恋人』

 『ノッティングヒルの恋人』は有名人とある日突然恋人関係に陥ったらどうなるだろうという物語である。  有名人と付き合いたいという我々の欲求をこの映画は刺激する。ファンが多数存在する有名人には名誉がある。ファンである人々はその有名人をを自分のものにしたいという欲求がある。その有名人を自分のものにできれば有名人を追求する人々の理想は一つ解決する。  本作は我々の有名人への憧れを助長している。待ち受けている展開はどれも有名人ぽい設定や場面に溢れている。ヒロインが記者会見を開くから、映画の撮影場面で、たまたま訪れた仕事先のお店で。どれも華やかであり、リアリティは欠ける。つまり、この映画は有名人に対する妄想を視聴者にまた新たに一つ提供しただけである。  この妄想が深くなくて面白くない。登場人物の葛藤はない。上辺だけの、あるいは表面的な、苦しみしかない。ゴールは決まっていて、ただそこに進むだけ。ちょっとした障害物としてキャラクターたちがいるだけである。全てが薄く、軽く、それは皆が良いと感じるポップソングを無理やり作るようなものである。  完全にポップにしたくない作家の抵抗も垣間見える。例えば、主人公に好きな作家としてヘンリージェイムズを挙げていることだ。ヘンリージェイムズは主人公の内側をこと細かに書くことを特徴としている。それはただただ深い登場人物の内なる感情を描く。その内容は、この映画と相反する。アナが出演するSF映画も奇妙である。宇宙というその密閉された空間の中は登場人物の内側を描写するのには最適だ。しかしながら、ヘンリージェイムズをリスペクトしたSF映画は大衆映画には向かない。細やかな嗜好の表出だ。  結論としてこのブリティッシュ(英国の)ジョークが編み込まれた本作は大衆映画である。それは超無難に描かれた無難な作品である。『ノッティングヒルの恋人』が他の作品と異なる特徴はその出演者のみであろう。

『ウォールフラワー』レビュー

 『ウォールフラワー』(原題:The Perks of Being a Wallflower)はアメリカの青春を反映したような映画になっている。時代は今よりも古いものの、扱っている内容は最近の政治傾向や時代性を取り入れている。それはインターネットでやり取りをする以前の時代のことである。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(Cather in the Rye)を先生が主人公に手渡しているあたりに時代性を感じる。  『ライ麦畑でつかまえて』の時代とこの物語はそれほど遜色はないし、オマージュのようにすら感じる。ライ麦では主人公のホールデンは酔っ払ったり、酔っ払いながらも電話をたくさんする。最終的には病院送りにもなる。さらに、これは青少年の成長物語、先生が成長する過程で愛した本、の代表である。しまいには、チャーリーがホールデンのように今を受け入れるという超ポジティブ(前向き)なエンディングとなっている。このように『ウォールフラワー』は部分的に『ライ麦畑でつかまえて』を取り組んでいる物語である。  『ライ麦畑でつかまえて』と大きくことなり、近代の傾向を取り入れたのは音楽である。The SmithもDexy's Midnight Runnersも1980年代を代表する音楽だ。さらに、ミックステープというテープ文化も1980年代発祥のものだ。ロックという音楽によってこの物語では青春を描こうとしている点が面白い。  幻想的なアメリカの高校生活を描くことからスタートして、その高校生活は見事に一般大衆のレベルまで落ちてくる。それはつまり、全然ありえる展開を意味する。若いときに大人ぶって慣れないものに手を出してやらかす。しまいには偽りの感情を作り出してどうしていいのか悩む。自分がどうしていいのかわからなくなって自殺までしようとする。そこまで到達する主人公はちょっと感傷的すぎる。それでも、若いときはどうやって生きたらいいのかを死ぬほど悩む。華やかな、理想的な生活では決してない部分が興味深くていい。